作家インタビュー

第01回 売野雅勇さん

「涙のリクエスト」(チェッカーズ)、「2億4千万の瞳」(郷ひろみ)、「め組のひと」(ラッツ&スター)「Somebody's Night」(矢沢永吉)など数多くの大ヒット曲を送り出し、また、「少女A」(中森明菜)、「最後のHoly Night」(杉山清貴)など弊社の管理楽曲としても関わりが深い作詞家・売野雅勇さん。
2016年にデビュー35周年を迎えてもなお、アーティスト・プロデュースなどで精力的に活動している中、初公開のエピソードも交えながらお話しを伺いました。
まずは。売野雅勇さんが作詞家になるまでの長い道のりを伺うと、まるで壮大な物語のように語られていきました。

就職活動で広告代理店へ

ぼくは作詞家になるつもりはなくて…書く仕事だったら音楽評論家にはなりたいという気持ちが多少あったんですね。ともかく音楽に関わる仕事をしたいという願望があったようです、振り返ってみると。

就職活動は、CBS・ソニー(現・ソニーミュージック)を邦楽のディレクターとして試験を受けたんです。それとLF(ニッポン放送)に初めてできた音楽ディレクターっていう専門職、その他には、数社の広告代理店。結果は、CBSは落ちたけれど、LFは試験が特殊で音楽に関する論文の他に、譜面と歌詞が8小節ずつ書いてあって、その曲名を答えよというのが100題(笑)。すべて知っている洋楽のヒットソングで、全部正解しました。こんな楽な就職試験はなかったですね(笑)。その筆記試験は当然通り、次の課長部長面接みたいなところも難なく通過して、社長・重役面接まで行ったんです。何百名の中から残ったのは上智2人、慶応2人、そして早稲田が1人。その最後まで残った5人が最終面接を受けまして、結局、ぼくは落ちちゃうんです。でも、採用通知は来ないだろうと予測してました。1%も甘い期待はしてなかった。というのは、面接当日、控え室で待っている間、5名の学生たちは雑談しているのですが、ぼくは話の輪には入らずに、他の4人を観察してた。誰が受かるだろうかと、自分が社長だったら誰を採用したいかと考えながら。で、こいつだ!と目をつけた男がいた(笑)。自分が面接官なら、ぼくではなくてこの男を取るだろうと考えたわけです。ぼくを採用したら大したことのない企業だと(笑)。ですから、とても残念だったけれど落ち込むこともなかった。

で、予想通り落ちたのですが、グループ会社のポニー(現・ポニーキャニオン)を勧められました。ポニーだったらディレクター職で推薦するから行ってくれって言われたんです。ぼくはレコード会社といえば、カッコいい洋楽のCBSとEMI(東芝EMI/後にユニバーサルミュージックに統合)しか浅はかなことに知らなかったんです。ポニーはどんなレコードを出しているんだろうって調べてみたら、山本リンダや演歌だったので、こんなところに行きたくないと思って、ありがたいけれど結構ですって断ってしまうんです。行けば良いのにバカだからね(笑)。それと、CBSも落ちちゃったのだけれど、営業職だったら通ると思うから、営業でもう1回受けてみてって言われましたが、これも蹴っちゃうんです。何を考えてるんだか、愚かしい限りですけれど、想像してみると、音楽をつくることにすごく執着があったんですね。

その年は、ちょうどオイルショックの年で、未曾有の就職難の時代が始まるからと、大学は就職が決まっている学生は卒業させるという方針を、冬休みの始まる前に発表したりしたんです。社会全体の空気が不安で暗くなっていく年の瀬って感じでしたね。ぼくは、就職試験は落ちたし留年するつもりでのんびりかまえていたんですけど、女友達から「お父さんの会社も大変で自宅待機よ、大不況が始まるみたいだよ」なんて聞かされて、きっと急にビビったんですね。それから慌てて卒論を書き(笑)、なんとか卒業試験もパスして、たったひとつだけ受かっていた、当時は業界4位の、大阪に本社がある最も旧い広告会社、萬年社に入りました。

萬年社から音楽を求めて
東急エージェンシー・インターナショナルへ

卒業してから数ヶ月後にコピーライターをやることになるんです。でもやっぱり音楽に関わりたいなあ…、影響力もさることながら時代の先端を行く雰囲気があった今野雄二さんみたいな音楽評論家にどうやったらなれるのかな? などと思いながら『ニューミュージックマガジン』を読んだり、細野晴臣さんの「泰安洋行」など日々聴いていました。そんな時に、東急エージェンシー・インターナショナルが、朝日新聞にちっちゃな三行広告で求人募集をしているのを偶然見たんです。「音楽に詳しいコピーライター求む」と書いてあったそれを切り抜いて、自宅の机の前の壁に貼ったんです。

応募資格があって、コピーライター歴3年以上、26歳以上と書いてある。ぼくは当時、コピーライターやって2年半で25歳だったから、応募していいのか迷ったんです。ウチに泊まりに来た友達がそれを見つけて、「売野、会社を辞めた方が良いよ。これカッコいいよ」って言うんです。何がカッコいいのか訊いてみたら、「こんな3行しか無いショボい広告だよ。掲載料がたった3万円くらいのちっぽけな広告で、100倍近い競争率を勝ち抜いて入った萬年社を捨てる、そういう生き方はカッコいいから、売野、辞めてくれ。そんなヤツがいてほしい」って言うんです(笑)。その言葉で調子づいちゃって、その日に履歴書を書き、次の朝にポストに入れて、そして試験を受けたら簡単に入れちゃった。25歳なのに(笑)。いい加減だなあって思った、社会って。このことで、人間が決めることってルールといっても簡単に変わるという教訓を学んだ気がします。それまでは、どちらかといえば、むしろ必要以上に緊張する不器用で生真面目なタイプの人間だったのだけれど、そのあたりから、徐々にリラックスして社会に適応していった気がします。

CBS・ソニー洋楽担当のコピーライター

東急エージェンシー・インターナショナルに入ってみたら、就職試験に落ちたCBS・ソニーの洋楽のコピーライターだったんですね。これが思っていた100倍くらい大変で、ポップスからジャズまであらゆるジャンルの音楽を聴いてコピーを書かなくちゃならなかった。20数名のディレクターがいて、LPが毎月40W(レコード40枚)くらい発売になる。これを全部聴いて、当時は音楽専門誌が多いから、それぞれの雑誌の広告のデザインにあわせてコピーを書くわけです。例えば40誌あったら、40誌×アルバム40枚分のコピーだから160パターンのコピーを書く。朝10時くらいに会社に行きずっと書きっぱなしでも、夜の8時、9時には終わらないんですね。会社内に音楽ブースがあって、そこで大音響で聴いて、原稿用紙を埋めて、フル稼働する。そのルーティーンです。これをひたすら真面目に10か月続けたら、書く技術だけはおそろしくアップしましたね。考えると、素晴らしいトレーニング期間を与えられた気がします。

そろそろ新しい刺激がほしくなってきた頃、マッキャン・エリクソン博報堂と第一企画という、2つの広告会社から誘われて、後から話が来た第一企画に移りました。

開かれていく作詞家への道

第一企画は国際部という外資系のクライアントの広告制作の部署でした。「会議も英語だけど大丈夫?」って、ロサンジェルスの有名なD.D.B.という制作プロダクションから移ってきたばかりのクリエイティヴ・ディレクターにきかれて、「英文科だから大丈夫です」って答えて、CBS・ソニーの仕事で3つだけ書いたジャパンタイムズに掲載された広告を見せたら、その室長が「OK、入れるよ」って(笑)。「あの、 試験とか無いんですか?」ってきいたら、「いや、これが試験だから。ぼくが決めるわけですよ。ぼくが、あなたのボス」(笑)って言う。この人がいたから、第一企画に入ることが出来たんですね。かなり変わった人で、すごく気があいました(笑)。蛯原さんという伊達男の方です(笑)。日本ポラロイドとか、ジョンソン&ジョンソン、ワーナー・ランバート、あ、シーバス・リーガルのコピーも書きましたね。それでコピーライターとして最初にして最後の広告賞ももらいました。楽しい2年間でした。一度、蛯原さんから「売野さんのコピーは詩のようで、外資の広告には不向きです。必要なのはもっと太いドカンとしたヘッドラインです」と言われたことがあってよく覚えてますが、この助言がいまでも生きている気がします、タイトルと歌詞という棲み分けをして。

1978年に、EPIC・ソニーが設立されることになって、東急エージェンシー・インターナショナルから連絡があって、戻ってきてくれないかという話になった。EPIC・ソニーの設立にあたってコピーライターが要るからと。そこで、作詞家になるとはその時は思っていないんだけど、結果的には作詞家になる道が開かれることになるんですね。

その頃、ぼくは友人と一緒に、『LA VIE』という、いまで言うインディーズの男性ファッション誌を編集していて、ともかく時間がなかったので「仕事のない時は会社に行かなくていいという契約にしてくれませんか?」とお願いしたら、東急の今井さんというクリエイティヴ・ディレクターが「条件は何でも会社にのませるから、来月から来い」って言うので「わかりました!」と(笑)。

それでEPIC担当として、ロゴマークやシンボル・カラーとか、EPIC・ソニーというブランドの立ち上げから、EPICのオフィスに何も無いところから関わることになったんです。コピーライターはぼくひとりでしたから、洋楽も邦楽も書いてました。そのひとつがシャネルズのコピーだったのですが、ぼくが新聞用に書いたアルバムの発売告知のコピーを読んだ担当ディレクターの目黒育郎さんに「あなたのコピーは面白いから詞も書ける気がします。書いてみませんか?」って言われて、これが作詞家になったきっかけですね。そこまでに回り道したような、あるいは、それが近道だったかはわからないですけど(微笑)。去年書いた『砂の果実~80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』という本に、当時のことが詳しく書いてありますから、興味のある方はどうぞお読みください。

この時に作詞をすることになったのが、河合夕子のアルバム『リトル・トウキョウ』 (1981年5月21日発売)。それよりも発売日が先の、「麻生麗二」というペンネームで書いた、シャネルズのアルバム『Heart & Soul』(1981年3月21日発売/EPIC)に収録の「星くずのダンス・ホール」、「スマイル・フォー・ミー」がデビュー作になっていますが、河合夕子の方が仕事としては先行していました。
その翌年、日本テレビ系『スター誕生!』からデビューした中森明菜の2ndシングル「少女A」が最初の大ヒット曲になります。
ここからはその「少女A」をはじめ、日本テレビ音楽が著作権を有する楽曲の中からピックアップしてお話を伺います。

「少女A」中森明菜
(1982年7月28日発売/ワーナーパイオニア)

「少女A」は詞先だったんです。で、芹澤廣明さんではない他の作曲家の方が最初に曲をつけてくださった。いまの「少女A」とは全然違う「少女A」です。それは、ボツになってしまったのだけど、2週間くらいして「詞だけ生きてます」と再びレコード会社から、ぼくが所属していた作家事務所に連絡があり「別のメロディがつけられますか?」とオファーされたという話を知らされました。事務所に作曲家は数名いましたが、そのひとりが芹澤廣明さんでした。

それでマネージャーが芹澤さんのストック曲から3曲をピックアップして、「ディレクターに聴かせるので、一緒にワーナーパイオニアに行ってくれ」と連れて行かれたんです。そのワーナーのディレクターが島田雄三さんです。石黒くんという若いマネージャーと3人でその3曲を聴いたわけです。3曲ともマイナー8ビートの曲で、芹澤さんがギター1本で歌っているデモテープでした。芹澤メロディーって世界一アクが強いメロディなので、どのメロディにも芹澤さんの署名がしてある。ブランド・マークが刻印されているわけです。3曲聴き終えたところで、島田雄三さんから「売野さん、作詞家としてはどれがいいですか?」って訊かれた。ぼくは歌詞を嵌め直す必要があるので、なるべくオリジナルの歌詞が損なわれないという観点から「2番ですね」と答えた。ぼくは2月22日生まれなので、そこだと(笑)。そうしたら、島田さんが「ぼくもそう思います」って(笑)ぼくも調子がいいから「ですよね!」って(笑)。この曲だけ漫画家の方が書いたという「シャガールの絵」という詞が付いていたんです。「シャガールの絵」も詞先で芹澤さんが後からメロディを付けた作品です。

このメロディに、ぼくが詞先で書いた歌詞を、今度は曲先みたいにして嵌め直すことになった。でも、あっけないほどまるで難しくなくて、奇跡的にといっていいくらい、曲に詞がうまくハマるんですね。全体の構成が似ていたんだね。Aメロの長さとか、サビのシンプルさとか。なぜかというと、両方とも素人っぽい詞の構成なんです。つまり、小節数のカウントが出来ていなくて、原稿用紙の升目の数を目安に書いているんですね。横1行が20文字ですから、そのあたりで。ぼくも詞先で書いたのは、それで5回目くらいだったから、まだ書き方を充分知らなかったんだ。

やたらAメロが長いんです。そして貧弱なサビ(微笑)。「じれったいじれったい」というサビのキャッチーなフックは、ぼくのオリジナルの詞には無くて、『シャガールの絵』の歌詞の中のサビの最初の部分が「ねえあなた、ねえあなた」が2回繰り返すサビだったんです。

やたらにここは来るなあと思って。ここがキモなんだろうなと思って、サビの書き方を勉強しようと思って歌本を開いていたら、ほとんど役に立たなかったのですが、ひとつだけ阿木燿子さんのサビの書き方が完璧だということを発見するんです。山口百恵さんに書いた詞はすべてよく出来てるなあと、特にサビの書き方を学習させていただきました。女性が啖呵を切る、捨て台詞を言う、これが阿木作品の要諦だと。その原理を援用させてもらって、「じれったい、じれったい、これだ!」って。そうやって書き上げました。

で、次の回のミーティングには芹澤さんも来て、実際に歌詞と合わせて歌うことになったんです。でも、芹澤さんは「半年も前に書いた曲だから覚えてないよ」って、その場で譜面を見てギターを弾いてました(笑)。最初は「じれったい」の譜割りもちょっと違ってたりしてたけど、10分後にはひとつの楽曲として完成しました。芹澤廣明さんは作曲家としてはまだ無名でしたが、何か大物の風格を既に漂わせてましたね。その日が、後にチェッカーズの曲でも組むことになる、「運命の男」芹澤廣明さんとの出会いでもあったんです。

「少女A」が大ヒットした時は、すごく嬉しかったけど、自分としては「ワーイ」っていう感じじゃなかったね。友人や親戚、社会人チームでやっていたアメフトの仲間とか、テレビで名前を見たりして「ワォ!ワォ!」なんですよ、もちろん。でも自分はそこまで喜べるかなっていう気分だった気がします。このヒット一発だけのまぐれだからっていう感じでしたから。次のヒット曲が書けない限りは職業作家になれたわけじゃないと、シビアに冷静に受け止めてました。浮かれちゃいけないと自制していたんだろうね。

だって、アイドルの歌詞を書いたのは初めてなんだから。ただマネージャーに言われるまま、チラシ1枚しかない資料?を見ながら机に向かって書き、LP(アルバム)に入るかどうかっていう曲だったから(微笑)。シングルとして書いたわけじゃないから。その頃は書いても半分以上がボツになっていたんです。その時も、ボツになるかもしれないと思っていたら、LPに入ることになってオケを録音したという連絡が来て、多少の書き直しの注文があり、その後で突然、シングル候補になっていると聞かされ、まさかシングルにはならないだろうと思っていたら、最終的にはシングルですと、、、、何段階かがあってシングル曲になった楽曲です。それは夢みたいなことなんだけど、まあ、そういう好運も人生にはあるよねと思っていただけで(微笑)。作品がすごく優れているとは特に思っていなかったんです。運の強い楽曲だとは感じていましたが。。。。

シャネルズ(後のラッツ&スター)や伊藤銀次さんはスタッフのように、仲間のようにしてやっていたんで、キャッチボールをしながら詞を書いていたからボツになることも無かったんです。当時はマッドキャップという事務所に所属していて、そこのマネージャーがとってくる仕事の中には、コンペみたいな中で、ボツになる仕事も多かったんです。でも、「少女A」の時は、LPに収録する候補曲の中から、シングルにまでなったスペシャル・ラッキー・ナンバーなんですね。

「少女A」は特殊なヒットというか…雑誌の記事などで取り上げられたり、社会的に広がりが多少見えてきて、良い面も悪い面もあるんだけど…すごい作詞家が出てきたと捉える人もいたり、特殊過ぎて、キワドすぎて、企画モノみたいな捉え方をした人もいたでしょうし、そんな作詞家には興味はあっても、先頭をきってまっさきに仕事を頼む勇気がなかったみたいで、思ったほど仕事の依頼が来なかったね。「少女A」はそういう意味でも、体制の外側にいたんじゃないかという気がします。楽曲も2人の作家も業界のアウトサイダーだったんですね。だから、爆発的なヒットなのに次の仕事がなかなか無かったんだ。そんな中で、レコード会社やプロダクションの方が3人だけ、会いに来てくれたり、詞を依頼してくれたりしたんです。
その方々の顔は忘れもしませんし、いまでも感謝してます。

その次の年になって、河合奈保子さんの作曲をすることになった筒美京平さんが声をかけてくださって(「エスカレーション」1983年6月1日発売)、そこからですね、職業作家として勢いが出てきたのは。

日本テレビ系アニメーション『ガラスの仮面』主題歌
「ガラスの仮面」芦部真梨子(1984年4月21日発売/東芝EMI)

売野雅勇

(歌詞の元原稿を見たとたんに)あちゃー(笑)モトゲン!タイトルがデカいね(微笑)。阿久悠さんの生原稿を見せて頂いたことがあって、阿久さんのは(詞の形式が)縦書きで、1曲の歌詞に表紙が付いてるんです。表紙に曲名が書いてあって、周りを黒く塗ってあったり、絵が描いてあったりするんです。タイトルがやたら目立つようになっていて。ぼくはそれが出来ないので、(「ガラスの仮面」の原稿を見ながら)タイトルだけマジックインキで書いていた(笑)。この頃はまだ原稿の書き方のスタイルが完成していなくて、きれいには書いてあるんですけど、後からカリグラフィーペンというモノを見つけて、もうちょっと芸術的に(笑)書くようになるんです。
『ガラスの仮面』は、原作の漫画を何冊かもらって、全部読むんです。それで得たモチーフやインスピレーションを、ストーリーにあった形の言葉にしていくという書き方ですね。これは歌入れには行ってないですね。

日本テレビ系ドラマ『誇りの報酬』エンディング・テーマ
「想い出のクリフサイド・ホテル」中村雅俊
(1986年5月21日発売/日本コロムビア)

この頃はヨットをやって、海が好きになっちゃって、海が日常っていう生活だったんです。葉山、横須賀、油壺っていうのは車で走り馴れていて、稲垣潤一さんの「夏のクラクション」もそこからできていった作品です。そういう当時の実生活とは別に、大学生の頃にアメフトをやっていて、そのちょっと遊び人の風情のある先輩たちの会話の中によく出てくる「クリフサイド」という言葉に、ぼくはシビレてしまった記憶があったんです。大人の匂いを嗅いだのでしょうね。粋でセクシーでいい響きだなあって思っていたのを思い出して書いた(微笑)。クリフサイドは、元々ホテルの名前ではなくて、横浜にあるナイトクラブで、ロングドレスを着たホステスの人たちがいて、ビッグバンドが鳴っているダンスフロアがあるグランドキャバレーと言われる大人の遊び場です。そのクリフサイドに憧れていた学生の自分の記憶があり、いつか歌詞に使いたいと思っていたんです。

中村雅俊さんの新曲の打合せの時に、あのクリフサイドを使って、ちょっとゾクゾクするような、甘くて切ない禁断のラブソングを書こうと閃いたんだ。この時は詞先で、作曲家によっていろいろタイプがあるので、例えばこの作曲の鈴木キサブローさんだったら、どういう球を投げたらいいのかなって考えて、この時は歌い出し(の文字数、音符数)を5555にしたんです。7575にする時もありますけど。もちろん、自分で歌いながら書きます(笑)。誰にも聴かせたことはないけどね。余談だけど、3連でやってもらいたい時は、3333で書く時もあるんだけど、「津軽海峡・冬景色」の歌い出しみたいにね。でも、期待した3連ではなくて違うメロディーがついて来て、ちょっと残念なケースもあるんですけど(笑)。

油壺のリゾートマンションに泊まったことがあるのだけど、そこは窓から見降ろすとハーバーのヤードに陸上げされたヨットがいっぱい並んでいるのが見えて、夕暮れには風に吹かれて帆を張るワイアーがマストを叩く切ない音が夕闇に響くんですね。あの夕闇のハーバーを舞台にリゾートで出逢う男と女のひと夏の恋の歌にしようかと思いついた。記憶はインスピレーションのバックヤードだからね。クリフサイド・ホテルは、ですから、もちろん架空のホテルです。

「想い出のクリフサイド・ホテル」中村雅俊
「想い出のクリフサイド・ホテル」
写真提供:日本コロムビア
売野雅勇

日本航空ハワイキャンペーン’86イメージソング
「最後のHoly Night」杉山清貴(1986年11月6日発売/バップ)

「最後のHoly Night」杉山清貴
「最後のHoly Night」
写真提供:バップ

この歌詞を書いた時は、プロデューサーの藤田浩一さんととても長いブレイン・ストーミングのような打ち合わせがあって、3時間くらい話した気がします。それを持って帰って書いたわけですが、もう藤田さんかぼくかどちらが言ったのかは忘れてしまいましたけど、「最後のイヴはいちばん好きな人と過ごしたい」というキーフレーズが最終的にできて、ふたりともこれは行けるぞという手応えを感じて、これを発展させてストーリーを語ろうとそういうことになりました。普段こんな打ち合わせはあまりやりませんが、藤田さんが杉山さんのメロディを聴いて、何か強烈なものがあるけど言葉にならないもどかしさを抱えてたんじゃないかな。だから、たどり着くのに時間がかかったのだと思います。

歌詞の最大のポイントとしては、結婚は結婚、恋愛は恋愛と切り離して考えるような女性を歌詞に登場させて、そういう、一般的には反感を買うような感覚で生きている女性にも、これは自分の歌だと思えるような作品をあえてつくろうという狙いがありました。これはブレストがないと書けなかった作品ですね。プロデューサーの考えとしては、一般的なクリスマス・ソングという枠からはみ出した、ちょっと危険なクリスマス・ソングにしたかったのだと思います。

普通なら街の片隅で一生懸命生きている人達のささやかなクリスマスのエピソードが共感される歌になるわけですが、そこをちょっと外してる、ちょっとズラしたギミックがあるんですね。でも、そこに気づいた人はあまりいないかもしれないですね(笑)。杉山清貴さんのあの美しい声で歌われると、この歌の主人公の女性こそが最も祝福されるべきだと思わせられてしまう。

日本テレビ系ドラマ『もっとあぶない刑事』挿入歌
「TRASH」柴田恭兵(1988年11月16日発売/フォーライフ)

これはスタジオに歌入れに行った時の記憶、印象なんですけど、柴田さん本人が歌詞をあまり気に入ってないような感じがしたんです。後日、「すごく良い歌になった」っていう感想を聞いてほっとしたんだけど…・。あ、いま思い出しましたけど、歌い終わった後に、一生懸命歌った照れもあるんだと思うけど「こんなもんでいい?」って、ボーカル・ブースから出てくるなり僕に向かってそう言ってましたね。それから、歌が完成した時に、「今度、食事かゴルフでも行きましょう」って誘って頂いたのを覚えてますね。

ぼくは本当はこういうワイルドな歌詞が得意なんです。「いつも負け札ばかり引かされ  屑の烙印 押されて生きてきた」、こういうフレーズが好きでいくらでも書けますって感じなんだ。あと、この歌詞にちりばめられた動詞の命令形ね。“叫び続けろ”とか“やたら媚びるな”“浮かれて笑うな”とかね、すごい数の命令文だね(笑)。
「TRASH」ってタイトルも歌詞を書く前に最初からできていたね。普段考えていることを書くスタイルの歌詞だね。いまでも、自分の歌みたいな感じがします。

作詞家の出発点がシャネルズだったから、京浜工業地帯のティーン・エイジャーの青春、土曜だけがオレたちの生き甲斐みたいな、そういう歌が自分にすごくあってると思っていて、そういう人たちの生き方に真実を感じる感性が生まれつきそなわっているのかな。言葉を変えると、不良っぽい歌が好きなんですね。シティポップスと呼ばれた歌をたくさん書きましたから、お洒落とかというイメージでとらえられがちだけどね(笑)。どちらも自分だから、ウェストサイド物語のアップタウンもダウンタウンもどちら側に住んでも違和感がないのが特徴かな(笑)。

本当はリーゼントにしたかったくらいロカビリーが好きで、あまり気づいてくれる人は少ないんだけど(笑)だからチェッカーズもすごく書きやすかったですね。そうそう、リーゼントと柴田恭兵さんといえば、ぼくは東京キッド・ブラザーズの舞台も何度も観に行っていて、ファンだった時期もありました。ロックンロール・ミュージカル!すごく楽しい舞台だった。小劇場時代ですけど、柴田恭兵さんはスターオーラでキラキラしてましたね。

「TRASH」柴田恭兵
「TRASH」
写真提供:フォーライフ ミュージックエンタテイメント

これまでキャリアの中で、特に好きな自作の歌詞

坂本龍一さんの「美貌の青空」(アルバム『スムーチー』/1995年)。それと、坂本龍一さんと一緒に組んだ中谷美紀の曲はだいたい好きかな(中谷美紀のアルバム『食物連鎖』1996年/中谷美紀 with 坂本龍一「砂の果実」1997年など)。あれは、誰も登らなかった山を登ったような感じで、誰もマネできなかったんじゃないかな。

矢沢永吉さんの「SOMEBODY’S NIGHT」(1989年)や「PURE GOLD」(1990年)。それから、もちろんチェッカーズ!それと女性版チェッカーズのつもりで書いていた荻野目洋子さんの一連の歌、初めてプロデューサー的な立場で関わらせてもらえた河合奈保子さんのすべての歌。

ラッツ&スターの「め組のひと」、郷ひろみさんの「2億4千万の瞳」。稲垣潤一さんの「夏のクラクション」「P.S.抱きしめたい」。これ、切りがないね(笑)。好きな歌はCD BOX 売野雅勇作品集「天国より野蛮」に全部入ってますね(笑)

音楽、言葉を書くことから離れた趣味について

趣味?昔からクルマ好きですね。今はポルシェの4人乗りです。最初のクルマはワーゲンのビートル。次がBMWで、作詞を始めた頃は1964年式のメルセデスに乗ってました。あとは映画ですね。スタイル、匂い、ムードのある映画が好きです。監督だとデヴィッド・リンチ、ジム・ジャームッシュ、ウディ・アレン、アキ・カウリスマキ。

フィンランドの監督で、だいたいの作品が好きですけど特に『マッチ工場の少女』や、『浮き雲』。それで思い出したけど小津安二郎の『浮草』も大好きですね。90年代前半が最も映画館に通った時期で、映画手帳をつけながら毎年250本見ました。ビデオは含めず、映画館で観た数です。靴を脱いで上がるような20席くらいのミニシアターの会員証も持っていました(微笑)。それだけ観ると、映画のことがやっとわかったって感じがしました。歌舞伎もその魅力を理解するまでに10年かかりましたから。毎月のように歌舞伎座に通って10年です。頭の回転が遅いのにくわえて、しつこい性格なんですね。突き詰めたくなる気持ちを愛と呼んでますけど(笑)。

35周年の集大成としてMax Luxをプロデュース

Max Luxは、35周年のアニヴァーサリー・アーティストとしてデビューさせたロシア出身のコーラス・ユニットです。結成は2013年で、ライブを中心に六本木のライブハウスを拠点に活動していました。「歌がうまい、性格が良い、美貌である」を選考基準に選び抜いたメンバーです。3回メンバーチェンジして現在の構成になりました。コーラスがもともと好きなのでMax Luxはぼくの夢を実現してくれるドリーム・ガールズですね。

2008年に歌舞伎の市川右近さんと演った『虎島キンゴロウショー 魅惑の夜』という1964年の赤坂のグランドキャバレーのバーレスクという設定のミュージカル・ショーがむちゃくちゃ受けて、その時、日本語でJ-POPを歌う美貌の外国人というアイデアを試していたのですが、その発展形です。歴史は長いんです。性格はしつこく歴史は長く(笑)。

Max Lux

それに、芹澤廣明さんの影響も大きいですね。いま芹澤さんはアメリカで仕事をしているんですが、そのプロジェクトは最初ぼくと一緒にやるはずだったんです。「一緒にやろうよ」って誘われて、詞を書くつもりでいたんです。でも1年くらい後で「キング・クリムゾンのメンバーだった作詞家と組むことになったから」って(笑)。「なんだよさびしいなあ」って思って。芹澤さんはぼくの「運命の男」だから、意識せざるを得ないところがあるんですね。むこうが3つ年上だから、尊敬する兄貴のマネをしたがる弟っていう構図かな(笑)。で、彼がアメリカに行くなら、自分も何かしないとマズいなって…。そんなわけで、アメリカのヒットチャート・オリエンテッドで結成したコーラス・ユニットです。日本でヒットさせて、ロシアで、そしてユーロビジョンというヨーロッパの音楽祭で優勝して、「運命の男」とアメリカで当てるのが夢です。

最初はオリジナルの新曲が7曲録音してあったので、プラス3曲を自分の作品のカバーの普通のオリジナルアルバムとして出そうと思ったんですけど、すべてをヒット曲のカバーにしてボーナス・トラックでオリジナル3曲を収録し、「砂の果実」という自分回顧録とシンクロさせた、35周年のトリビュート・アルバムという形で発売しました。

2017年5月10日 東京・代官山にて
インタビュー・構成:高島幹雄

売野雅勇 35周年記念アイテム

『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』

著書
『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』
発行:朝日新聞出版 /発売日:2016年9月7日

Masterpieces~PURE GOLD POPS~売野雅勇作品集「天国より野蛮」

作品集
CD BOX(4枚組)
『Masterpieces~PURE GOLD POPS~売野雅勇作品集「天国より野蛮」』
発売元:ポニーキャニオン/発売日:2016年12月21日

Max Lux『砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute』

トリビュート・アルバム
Max Lux『砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute』
発売元:ポニーキャニオン/発売日:2016年11月16日

Max Lux『砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute』

トリビュート・アルバム
『真夏のイノセンス 作詞家・売野雅勇 Hits Covers』
発売元:徳間ジャパン/発売日:2017年2月22日

Max Lux(マックス・ラックス)

プロデュース・アーティスト
Max Lux(マックス・ラックス)

売野雅勇プロフィール

上智大学文学部英文科卒業。コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター「星屑のダンスホール」などを書き作詞家として活動を始める。1982年、中森明菜の「少女A」のヒットにより作詞活動に専念。以降チェッカーズを始め近藤真彦、河合奈保子、シブがき隊など数多くの作品により80年代アイドルブームの一翼を担う。

90年代からは坂本龍一、矢沢永吉からゲイシャガールズ、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。郷ひろみ「2億4千万の瞳」、ラッツ&スター「め組の人」チェッカーズ「涙のリクエスト」、稲垣潤一「夏のクラクション」、荻野目洋子「六本木純情派」、矢沢永吉「SOMEBODY’S NIGHT」、GEISHA GIRLS「少年」、中谷美紀「砂の果実」などヒット曲多数。

また1990年以降映画・演劇にも活動の場を広げ、脚本監督作品には『シンデレラ・エクスプレス』『BODY EXOTICA』。
脚本プロデュース作品の舞台には『ミッシング・ピース』(市川右近演出・千住明音楽)『天国より野蛮』(市川右近・宝生舞主演)『優雅な秘密』(市川右近・市川春猿主演)『美貌の青空』(市川右近・市川春猿・市川段治郎主演)『下町日和』(市川右近・市川春猿・市川段治郎主演)『虎島キンゴロウ・ショー/魅惑の夜』(虎島キンゴロウ・市川右近・金子國義主演)がある。

2016年8月に作詞活動35周年記念コンサート『天国より野蛮』を開催
鈴木雅之,藤井フミヤ、中村雅俊、荻野目洋子、稲垣潤一、中西圭三、山本達彦、南佳孝、森口博子、麻倉未稀などのアーティストが結集。

主な作品

坂本 龍一●美貌の青空
中谷 美紀●MIND CIRCUS(読売・日本テレビ連続ドラマ『俺たちに気をつけろ』挿入歌)/STRANGE PARADAISE(伊藤園「お~いお茶」CF)/天国より野蛮~WILDER THAN HEAVEN~(伊藤園「お~いお茶」CF)/フェティシュ(明治製菓「ポルテ」CM使用曲)/砂の果実
矢沢 永吉●SOMEBODY’S NIGHT/バラードよ永遠に/愛しい風/Pure Gold(TBS連続ドラマ『ホットドック』主題歌)/青空(サントリーBOSS CM使用曲)
郷 ひろみ●2億4千万の瞳/エキゾチック・ジャパン
GEISHA GIRLS ●少年
KINKI KIDS●イノセント・ウォーズ
タッキー&翼●DIAMOND
SMAP●Flapper
稲垣 潤一●思い出のビーチクラブ(カナダドライ・イメージソング)/夏のクラクション/P.S.抱きしめたい/セブンティ・カラーズ・ガール(カネボウ化粧品春のイメージソング)
チェッカーズ●涙のリクエスト/哀しくてジェラシー/星屑のステージ/ジュリアに傷心/OH! POPSTAR/あの娘とスキャンダル(映画『TANTANたぬき』主題歌)/俺たちのロカビリーナイト/ハート・オブ・レインボー(グリコアーモンドチョコレートCMソング)/Song for U.S.A
近藤 真彦●一番野郎/ケジメなさい/夢絆/大将/純情物語
中森 明菜●少女A/1/2の神話/禁区/十戒(1984)
シブガキ隊●挑発∞/サムライニッポン/喝/アッパレ!フジヤマ
ラッツ&スター●め組のひと(資生堂CMソング)/唇にナイフ
河合奈保子●エスカレーション/UNバランス/刹那の夏
田原 俊彦●エル・オー・ヴイ・愛・NG
中村 雅俊●想い出のクリフサイド・ホテル(TVドラマ『誇りの報酬』エンディングテーマ)/One More Heart(味の素CMソング)
杏里●Summerpolis ●radiogenic
荻野目洋子●六本木純情派/湾岸太陽族/さよならの果実たち/北風のキャロル/湘南ハートブレイク
松本 伊代●ビリーヴ
菊池 桃子●SAY YES!/アイドルを探せ/愛は心の仕事です(RA MU)
西村 知美●君は流れ星(アニメ『がんばれキッカーズ』主題歌)
本田美奈子●殺意のバカンス
堀 ちえみ●夢千秒/青春の忘れ物/ジャックナイフの夏
杉山 清貴●最後のHoly Night/水の中のanswer
1986オメガトライブ(カルロス・トシキ&オメガトライブ)●SUPER CHANCE/MISS LONEY EYES/STAY /GIRL STAYPURE/アクアマリンのままでいて
伊藤麻衣子●見えない翼(日本テレビ連続ドラマ『婦警候補生物語』主題歌)
ラフ&レディ●背番号のないエース(『タッチ 背番号のないエース』主題歌)
ブレッド&バター●さよならの贈り物(『タッチ さよならの贈り物』主題歌)
少年隊●SILENT DANCER
森 進一●挽歌の町から/京都去りがたし/泣きむし東京
中西 圭三●Woman(カメリアダイアモンドCF)/あの空を忘れない(『ワールドスーパー4バレー』テーマソング)/You And I (カメリアダイアモンドCFソング)
安室奈美恵●ミスターU.S.A(ロッテシリアルアイスCFイメージソング)/DANCING JUNK(NHK忍たま乱太郎エンディングテーマ曲)/PARADISE TRAIN(ロッテ「マスカット&ブルーベリーガム」CFイメージソング)
東京JAP●摩天楼ブルース(TBS連続ドラマ『少女に何が起こったか』主題歌)
東京パフォーマンスドール●キスは少年を浪費する(朝日放送系『摩訶不思議ダウンタウンの・・・!?』オープニングテーマ曲)/RUBY
篠原 涼子●青空が降る少年
高橋 克典●TRUE HEART

校歌

白鴎大学校歌/白鴎大学応援歌/立正大学応援歌
町田学園校歌/エトワール幼稚園園歌/都立千早高校校歌
青嵐泰斗高校校歌/葛生小学校校歌/他

CEO歌

「夢を継ぐ者」日本IBM最高顧問 椎名武雄氏
「聖なる母」ジャパンタイムス会長 小笠原敏晶氏
「絆」プラウドフット・ジャパン社長 長谷川喜一郎氏